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海の都の物語

塩野七生 (新潮文庫 全6巻)

傑作(30点)
2009年11月7日
ひっちぃ

地中海貿易で栄え中世有数の海軍国家にして商業国家だった海上都市国家ヴェネツィアの興亡を、政治と経済と軍事と文化の面から作家塩野七生が分かりやすく物語として語った本。

塩野七生といえば、古代ローマについての大長編「ローマ人の物語」が一番有名なのだけど、ローマについては既に違う本で多少の知識があったし、いきなり長いものを読み始めるのもなんなので、とりあえず文庫本にして6分冊のこのシリーズを読んでみることにした。

ヴェネツィアといえばまずシェイクスピアの「ベニスの商人」に出てくる強欲な商人を思い浮かべるだろう。しかし実際のヴェネツィアの商人は非常に合理的だったので、人の腹の肉を切るなんていう無意味なことは絶対にしなかっただろう、と作者は言う。

ヴェネツィアは複式簿記を発明した国であり、イギリスの前の金融覇権国だったので経済は高度に発展していたのだが、彼らの商業活動は競争というよりもまさに護送船団方式というべきものだった。貿易船には基本的に武装したガレー船を随伴させ、ライバルの海洋国家やイスラムの海賊から身を守っていた。商売を始めるための敷居も低く、お金がない人は石弓兵として少量の商品を持って乗り込み、船の行く先々でささやかな商いをして元手を蓄えたり商慣習を覚えたりする。ある程度資本がたまっても船を丸々一隻調達するまでには随分掛かるので分割して船のスペースを借りる仕組みがあったり、他の商人の貿易を代わりにやって手数料を取ったりしていた。これらの仕組みを国家が後押しして貿易を管理していた。

海軍力では地中海で最強を誇り、ビザンティン帝国(東ローマ帝国)の海の防衛を一手に引き受けていた。ビザンティン帝国がオスマン・トルコに滅ぼされてからはこの超大国とたびたび戦火を交え、特にレパントの海戦ではキリスト教連合の過半数の戦力を出してイスラム陣営に対する勝利に大いに貢献した。

ヴェネツィアはあくまで交易を優先し、領土に対する欲は末期を除くとほとんど持たなかった。交易のために必要な中継点として、イタリアの半島の東側にある内海のアドリア海沿岸とクレタ島などの東地中海の島々を点々と領有するだけだった。沿岸の諸都市は船の乗組員の調達に貢献したが農業はほとんど出来ないので交易で得た金を使って維持した。大きな島では商品作物を育てて交易で儲けた。

そんな平和主義的な国家のヴェネツィアが行った一番の侵略行為は、第四次十字軍に協力する見返りとしてビザンティン帝国の首都コンスタンティノープルを一緒に攻撃するよう持ちかけて(十字軍はカトリックなのでビザンティンの東方正教会を併呑したかった)ついにはこの帝国を一時的にせよ陥としてしまったことだったが、その目的はいまだ大きな影響力を持っていた帝国の領土を経由する交易で独占的な立場を得るためだった。

そもそもヴェネツィアは、蛮族からの攻撃を避けるために人々が干潟に移り住んだことから興る。地図を見るとはっきり分かるのだが、ヴェネツィアは本当に海の湾の真ん中にある。陸との行き来は船を使わないとならない。このように困難ではあるが堅牢な場所に人々が定住したことによって初めてこの国のメンタリティが生まれたのだろう。

政体は共和制で、政治に携わることが出来る貴族から構成される元老院と、そこから票決で選ばれる元首、内閣のような十人委員会などの身軽な意志決定機関が置かれた。一方で貴族ではない平民からなる大きな官僚組織が行政を行った。身分による外見や経済的な格差はそんなに大きくはなく、貴族でも落ちぶれると貧乏になったり、大金持ちは国家の一大事が起こるたびに巨額の税金を納めた。

ルネサンスは僭主制(事実上の君主制)だったメディチ家のフィレンツェのように芸術家を囲い込める強力なパトロンがいる都市がリードしたが、当時の冷徹な政治学者として知られるマキアベリは自著として「君主論」のほかにヴェネツィアを強く意識した「共和制論」とも言うべき著書(と作者が言っている)を残している。

フィレンツェのほかにも当時のイタリアにはいくつかの有力な都市国家があった。内陸部にはミラノや教皇領の中心だったローマ、同じ海洋都市国家のライバルとしてジェノヴァやアマルフィ(織田裕二主演の同名の邦画が最近作られた)やピサ(斜塔で有名な)があった。なかでもジェノヴァはヴェネツィアにとって強力なライバルで、商人同士の協調を重視したヴェネツィアに対して、ジェノヴァは同国人の商人同士が争いあう競争絶対主義的な勢いがあり、たびたびヴェネツィアを脅かし、ひどいときには大国と同盟を組んでヴェネツィアを追い詰めた(キオッジアの戦い)が、たびたび内乱が起きたのでムラがあり最終的にヴェネツィアより早く滅びることになった。

そんなヴェネツィアが没落への道をたどる最初の出来事は、バスコ・ダ・ガマを擁したポルトガルが南アフリカの喜望峰を経由して香辛料を持ち帰ったことだった。それでも最初は依然として東地中海を経由した従来のヴェネツィアが支配する交易路が優位を保っていた。ヴェネツィアはこの優位を維持するためにこれまで幾度も戦火を交えたトルコに協力し中東とインドの安定化を後押ししたりした。しかし結果的に保守的だったヴェネツィアはきたる大航海時代に積極的に乗り出さなかった。

主に海と島と沿岸しか押さえなかった海洋都市国家ヴェネツィアは、オスマン・トルコに代表されるような中央集権の専制国家に対して時代と共にジリ貧になっていった。時代が下るとともにヴェネツィアは内陸部も「本土」と称して傭兵中心の陸軍を編成して維持し農業経営と交易路の確保に役立てたが、中途半端な維持には無理が掛かった上に、交易国家としての国民の自存自衛の意識すら蝕んでいった。

最終的にヴェネツィアは、フランス革命によって世界で初めて誕生した国民国家であるフランス共和国の、イタリア方面軍総司令官ナポレオンの軍に占領されて歴史に幕を閉じる。

とまあここまで要約ばかりで来たので批評もしておく。

この人の代表作「ローマ人の物語」がブームになった理由が分かった。面白い。巻末の大量の参考文献を見るとこの人は少なくとも知識については歴史学者を名乗るに十分なほどだと思うのだけど、あくまで作家として物語を語っている。歴史というものは科学の中では文学に近く、史料をどのように位置づけて線を引くかはそれぞれの人に任される。本職の歴史学者に言わせれば科学的方法論に異論があるかもしれないが、本作品は面白くて知的好奇心を刺激されまた為になるという点で一級の歴史書だと私は思う。日本のギボンと言っていいんじゃないだろうか。

この人は女性作家なのだけど、少なくともこの作品に関しては、女の影響力が低かったヴェネツィアについて正直に書いている。また、滅亡の美学なんていう男にありがちな感性すら覗かせている。エジプトからこっそり持ってきた聖マルコの聖遺物をナショナルアイデンティティとし、国旗を聖マルコの獅子にして船にひるがえらせたといった描写は、はっきり男のロマンのようなものへの理解を伺わせる。また、聖地巡礼をパック旅行化したなんていう独自の興味を掘り下げてもいる。

ちょーもないケチをつけると、文章が継ぎ足し継ぎ足しで冗長になって読みにくい箇所が目立った。自分のことは棚に上げるけど。

この作品は歴史を扱った本ということですべての人に勧められるようなものではなく、歴史に興味のある一部の人にしか勧めない。中世ヨーロッパを理解する上で重要な国の一つだし、日本もまた海洋国家なのだから対比できるし、高度な政治経済体制は示唆に富んでいるので、歴史が好きならぜひ読んでみて欲しいと思う。

ところでヨーロッパユニバーサリス3というガチなストラテジーゲームでヴェネツィアで少し遊んでみたところ、開始年代はコンスタンティノープルが陥ちた1453年から始まるのだが、このときの総合的な国力は第7位だった。開始時点でミラノから攻められていた。あまりゲームシステムがよく分かっていないで適当にプレイしていたら、ナポリと一緒に教皇領を攻めることになったり、アドリア海沿岸のダルマツィアにハンガリーだかオーストリアだかから内乱の工作を掛けられたり、はるか黒海のほうまで攻めてくれと同盟国に頼まれたりと面倒だった。

(最終更新日: 2010年4月29日 by ひっちぃ)

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