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もう牛を食べても安心か

福岡伸一 (文春新書)

最高(50点)
2007年7月28日
ひっちぃ

アメリカの科学者シェーンハイマーが放射性同位元素を使って1937年に証明した「動的平衡」という新しい生物観を土台に、狂牛病の正体やなぜ広まっていったのかを説明した本。

一見なんの面白みもない畜産の専門家か獣医師の書いた本のように思うが、本書は分子生物学者が生命科学の粋を集めながら極めて平易に語りおろした実に科学的な本だ。

私は確か週刊文春の書評で誰かが本書を絶賛していたのでいつか読む本のリストに入れていたのだが、探し始めた当初は店で見つからなかったので今になって初めて読んでみた。ちょっと期待しすぎていた自分に気づいたが、それでもとても素晴らしい本だった。

まず本書はシェーンハイマーの発見した生物観を発掘して私たちの前に示してくれる。私たちがモノを食べると、そのモノは消化されて栄養になって筋肉やら体を動かすための燃料のようなものになると思いがちだ。しかしそれは違っていて、私たちが食べたモノはいったん分子レベルにまで分解されてからその一部が私たちの体の再構成に使われる一方で、入れ替わりに私たちの体を形作っていた組織が排泄されるのだという。それをシェーンハイマーは、追跡が容易な放射性同位元素から人工的に作ったアミノ酸をモニタリングすることで発見した。いわば私たちの体は分子やアミノ酸やタンパク質の流れに過ぎないというのだ。

だから作者は遺伝子組み換え作物にも反対している。いくら従来の作物と変わらないとはいえ、人の手で遺伝子を操作して作った作物を構成するアミノ酸やタンパク質が100%安全であると言うの危険であると。それらは栄養素を燃料として私たちが使うのではなく、一度分解された上で私たちの体の一部となるからだ。

一方、狂牛病の原因は異常なタンパク質の一種であるとするプリオン仮説は、少なくともこの本が書かれた時点ではまだ詳しいことが分かっていないのだという。最初にプリオン仮説を唱え始めた学者の度が過ぎた功名心を紹介しているが、状況はプリオン説に有利に運んでいるらしい。

最初に羊に発生したスクレイピーが、人間の作り出した牛と牛の共食いのループにより新たな進化を遂げ、ウィルスなどの既存の病原体とは全く異なる新しい形態の病原体を生み出してしまったのだという。その原理は、食べるという行為についてシェーンハイマーが緒をつけた事実のおかげですんなりと理解できる。いまさらながらに食べるという行為に恐ろしさを感じてしまう。

本書の記述は平易で分かりやすい。ちょっと硬直しているように思える文章は、読みやすいとまではいかないが良い調子で読んでいけた。この人は感性ではなく論理的に文章を書く人だなと思った。

一つ問題点として思ったのは、遺伝子とアミノ酸とタンパク質の関係についての説明が欲しかったことだ。私は幸いこの部分の知識が少しだけあったので、本書の記述と併せて生命というものの全体像が掴めたような気になれた。しかしもしただ漠然とタンパク質やアミノ酸について想像するしかない読者であれば、この話ってそんなに面白く感じられただろうか。

あと題名が内容とニュアンス的に一致していないのが気になると言えば気になる。まあこの程度ならどうでもいいか。むしろ損をしているかも。

本書を読むことで、生命観だけでなく自分の生活まで影響を受けるだろう。それぐらいのインパクトのある重要な内容だと思う。

おまけとして分子生物学の研究方法の紹介も興味深かった。

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